2014年8月21日木曜日
吉田修一『横道世之介』
今日読み始めて今日読了。肩の力がゆる~んと抜けた文体で、そうめんのようにつるつる読めます。
大学進学のために上京した長崎生まれの横道世之介という男の子が、4月に来てから過ごした1年間が3月まで月ごとに描写されています。4月、東京のすべてに驚き、部屋に布団も無かった世之介が、いろいろな人と出会い東京に居場所を見つけていく。知り合いもいない中で上京し大学生活を送った私にも懐かしい感覚を思い出させてくれました。
たしかに大学1年生って、一番人が脱皮する時期かもしれません。受験勉強して極端に狭くなっていた視野が突然開けてあふれだす1年。
世之介はこの1年で偶然将来の天職につながる1歩を踏み出し、その他の登場人物にとっても転機の1年になっている。でもそれは後から考えれば分かるだけ。あの時1年は自分の転機だったと。そしてその転機の場所に、世之介が一緒にいたことを思い出す。15年後、それぞれの場所でそれぞれの生き方をしている人々が、ふと世之介を思い出す。
15年後のそれぞれの描写が意外な所に挟まり、それが新鮮な効果を上げているように思えました。別に世之介はしょうもないヘタレだし、たいしたことしていないんだけどね、でも思い出の中の世之介はヘタレだからこそまぶしいのかも。
ところどころにその時代(80年代?)のトピックスが使われていて、それらによってその当時の空気が再現されているかどうかは、世之介と同時代人ではないので分かりません。ただ、ちょっと入れ方が直接的すぎるかなあと感じました。当時の大事件をそのままボコッ、ボコッと放り込んだ感じで、そういう部分だけ凸凹して見えます。作品は好きではありませんが、時代色の入れ方としては東野圭吾『ナミヤ雑貨店の奇跡』の方が気が利いていて巧い気がします。例えば、モスクワオリンピックの絡め方は、歴史に翻弄されたそういう女性が本当にいるようなリアル感を覚えました。
でも、世之介は印象的なキャラでした。「世之介」なんて御大層な名前もらっておいて、空気みたいな存在でのほほんとしている、そういう世之介がなんだか忘れられなくなる。しばらく世之介は私の心の中に残ると思います。
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