わが家には現在4種類の大皿があります。柄も、うちに来た由来もそれぞれ違いますが、私が選ぶポイントはとてもシンプル。
その皿に盛られる料理が目に浮かぶか、です。
私はパスタが大好きなので、大皿を手にした時にまぶたの後ろに湯気をたてたできたてパスタが浮かべば合格!私は飾るためのお皿を買う気がないからこそ、使うイメージが鮮やかに浮かぶことが一番大切なのです。
一番の古株は青い印判手の皿。大学時代に骨董店で買い、かれこれ10年使っています。値段はよく覚えていませんが2000円はしなかったような。
卒業後、実家でもずっと使っていて、当時は実家の食器棚のなかで居心地悪そ~に浮いていましたが、現在は周りが古い食器ばかりなので落ち着いています(笑)
次が、3年前小布施の骨董屋で買った赤絵のお皿。印判手好きの私なのに、この皿にクリームパスタを乗せる画像があまりに鮮烈に浮かんで買ってしまいました。値段は5000円前後?印判ではなく全部手書きで手が込んでいます。赤絵だけでなくて、中央に藍の染め付けがあるのが好きです。
お店の人曰く、江戸か明治の皿だそうです。私は勝手に「江戸時代の皿」だと決めつけ、脳内ではこの皿に一筆一筆色を乗せた人はちょんまげを結っていることになっています。で、いろいろな料理をこの皿に盛り、食べながら「この皿を作った人も、こんな料理を盛られるとは予想していなかっただろうに…」などと考えてにやついています。アブナイ人ですね。
ちょっと使い勝手が悪いのは、ゴージャスなんだけれど金彩があるせいでレンジ不可なところです。だから、1回で食べきる自信がある時以外は敬遠。
次のお皿が京都の東寺の骨董市で買ったもの。
手書きで描いてある植物は「葵」だと思ったら「雪の下」だそうです。上の2枚よりも一回り小ぶりで、スープの多いものを勢い良く乗っけるとあふれます(経験済み)
この皿は骨董市の中で目が奪われてしまって、おそるおそる値段を聞くと
「2万4千円」!
値段を聞いて震えながら「普段使いにしたいんだけど、高すぎて無理です」と泣き言を述べたところ、店の人が
「じゃあ2枚3000円でいいよ」
とのこと。なんと私は「2万」と「2枚」を聞き間違ったのです。
泣き言言って良かった~!
結局2枚2500円になりました。通常、1枚は使い、1枚は和室に飾っています。パスタだけでなく、天ぷらなどもかっこよくしてくれる使い勝手のよい皿です。
最後に来たのが「発掘品」のチープな花柄カレー皿。
5枚セットで発掘されましたが、めちゃくちゃ薄く、めちゃくちゃ軽い。薔薇の印刷も1枚ずつずれているし、焼いた時の傷?みたいなものが表面に3カ所残って取れません。いろいろコンディションが悪いのですが、こういうチープ系も好きなのでたまに出して使っています。他の皿と違って深さがあるので、シチューやスープの時に重宝します。
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2014年8月26日火曜日
2014年8月25日月曜日
茶色のレトロ椅子とリサイクルクッション
昔の家で玄関に置いて応接セットに使っていた椅子2脚です。横からの写真で分かると思いますが、結構足が短くて低いです。そこがなんだか私のレトロ心をくすぐるのです!
この椅子は私が発掘した時には、昔の家のひいおばあちゃんの部屋でほっこりまるけ(方言?ほこりだらけのことです)になっていて、毎回のことですが、触るのも躊躇する感じでした。それでも拭いたらそれなりにきれいになったので、一人暮らしする前の実家の部屋に1脚だけ持って行って使ったのです。持って行く時、2脚のうちどちらを持って行こうか比べたところ、特に違いもなくずいぶん悩んで一つを選びました。
その後、暮らしながら昔の家のほこりの中に残した1脚が気の毒でなんとか救出しようとしたものの、場所がないので果たせず、一人暮らしになった時にようやく迎えに行って相棒(?)と再会しました。
そして、同じ部屋に2脚の椅子を置いたところ、なんとたった数ヶ月だというのに、
椅子の表情が違っていたのです!
明らかに使われている椅子が輝き、昔の家に残した椅子がくすんでいました。
ああ、ものは使ってこそ命が宿るのだなあ、と実感させられた椅子です。
現在は1脚がリビングで私の尻に敷かれ(笑)毎日酷使されており、もう1脚は台所で買ってきたものを乗せたり、料理中に私が座ったりしています。お客さんが来たときには台所からリビングに移動させて使っています。使っていてもやはり使う頻度が少ない台所の椅子の表情がくすむので、たまに入れ替えています。家も住まないようになるとすぐ傷むと言いますが、椅子のような家具でも同じことが起きるのかと驚きました。
ちなみにクッションは中国で買った元バッグです。ろうけつ染めのファスナー付きでしたが、あまり出動しなくなったのを捨てるのも惜しく、「ひもを切ってクッションを入れてファスナーを閉めるだけでクッションカバーになる!」と気づいて中身のクッションは100均で買ってきました。カバンだったときよりもさらに気に入って使っています。気に入ったバッグを捨てる前に、もし再利用できそうならやってみてください。
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2014年8月23日土曜日
源氏香?のゴミ箱
リビングにおいているゴミ箱は、倉庫の火鉢の中から発見されました。火鉢はとんでもなくセンスのないものだったので不合格。中身のこれもサビがあるし、半分くらい灰が入っていて何の魅力もなし。
さすがの私も「ゴミ認定!」ってしようと思ったら、
なんだこの模様は?源氏香!?
センス悪いうちのご先祖様が「源氏香」なんてオッシャレ~!と感動し、
ゴミ認定撤回→ゴミ箱になりました。(現金な奴)
それにしても何の巻の模様だろうかと調べてみたのですが、
…模様なくない?
私の目が悪いのかもしれませんが、見つけられません。なんちゃって源氏香なのかなあ?
ふたが無くて中身が見えるので、100均でコルクのフロアマットを1枚買い、丸く切って乗せました。
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さすがの私も「ゴミ認定!」ってしようと思ったら、
なんだこの模様は?源氏香!?
センス悪いうちのご先祖様が「源氏香」なんてオッシャレ~!と感動し、
ゴミ認定撤回→ゴミ箱になりました。(現金な奴)
それにしても何の巻の模様だろうかと調べてみたのですが、
…模様なくない?
私の目が悪いのかもしれませんが、見つけられません。なんちゃって源氏香なのかなあ?
ふたが無くて中身が見えるので、100均でコルクのフロアマットを1枚買い、丸く切って乗せました。
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2014年8月22日金曜日
三谷幸喜『清須会議』
三谷幸喜さんは「古畑任三郎」が大好きでよく見ていました。それこそ保存版でビデオを録画していたほど好きでした。テレビだと「振り返れば奴がいる」「竜馬におまかせ!」「総理とよばないで」とか。映画は「12人の優しい日本人」「ラヂオの時間」「みんなのいえ」「THE有頂天ホテル」「ザ・マジック・アワー」「ステキな金縛り」…案外観ていて自分でびっくり。
「清須会議」もずっと気になっていたのですが、今になって読みました。映画はもう少ししたら観る予定なので楽しみ。
私の中では三谷さんと和田竜さんは同じジャンルになってます。二人とも良い意味でも悪い意味でも時代劇ではない。そして両方設定が新しい。重箱の隅をつつくような歴史の話を見つけてくるのが二人のおもしろいところです。和田さんは忍者や海賊など特殊な能力や文化をもった存在を描くことが多いですが、三谷さんは王道の歴史の中からマニアックな所を選ぶ感じですね。
今回も清須会議というマニアックなところを選んだのが三谷さんらしく興味をもちました。映画ではなく演劇が中心の人だけあって、戦国時代をテーマにしても戦場のスペクタクルなシーンを描こうとしないで室内の会議を描いてしまうところが、たぶん本人は普通に思っているのでしょうが、戦国物としては異色ですね。
映画の薄いパンフレットを見ているので、信雄は妻夫木君、柴田勝家も役所さんで脳内再生しました。でも、あとは昔見ていた大河ドラマ「秀吉」のイメージが強すぎたのか、秀吉は竹中直人さん、寧は沢口靖子さん、滝川一益は段田さんがしゃべってました(笑)映画を見たら大河ドラマのイメージが三谷版に上書きされてしまうと思うので、しばらくこの独自キャストを脳内で味わいたいと思います。
小説を読んだところでは正直「あっけないな」と感じました。三谷さんはコメディを作っていると思うのですが、コメディの軽さがあってこそ生きる作品の重みが今回ほとんど感じられなかったのが残念です。コメディはおもしろきゃいいんだよって、思えなくなっちゃったのは私が年を取ったのかなあ?でも「12人の優しい日本人」はコメディの中にも心を揺り動かされるものをたくさん持っていたように思うのだけど。コメディの形で登場していてもその奥にあるそれぞれの日本人たちの叫びは今も私の胸に残っているのに…。「ラヂオの時間」だって、とてもコミカルな演技なんだけれどだからこそそこに優しさが詰まっているのがはっきり分かって涙が出てくるような時間があったはず。コメディってバカなことやって笑い取るだけの薄いものではないと思うのに、今回の作品は登場人物みんなの心が軽い気がしてしまいました。この作品を三谷さんがどういう映画にしたのか、観るのを楽しみにしたいです。
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ひいおばあさんの下駄箱
次に紹介するものはひいおばあさんの下駄箱です。これは古い家の中ではなく、倉庫の一番奥から「発掘」されました。だから軽く50年くらいは使われていないかもしれません。
「発掘」当時は毎回のことですが、とってもとっても汚くて、上の引き戸の所に変な巣?みたいのくっついてるし、最悪でした。材質は分かりません。これは削ってもきれいになる気がしないので、水拭きしておきました。染みみたいのを本気で直そうとしたらペンキで塗るしかないです。
これは本当の意味で「下駄箱」で、下駄を入れるので一段一段が今の靴の高さよりも低いです。中からはひいおばあちゃんの履いた木製の下駄がたくさん出てきました。小さいおばあちゃん(今も元気な祖母)曰く、「前の前の家の時、ひいおばあさんが自分の部屋近くに置いていたもの」だそうです。
できれば私も下駄箱として使いたいのですが、今の部屋は玄関に作り付けの下駄箱がある上に、この横幅がちょっとだけ長くて玄関に置けません。右の傘立て部分?をのこぎりで切れば入るようになりますが、そこまでの決心はつかず。現在はリビングに置いて傘立て部分がズボンを入れるのに重宝しているので、しばらくこのままでしょう。ちなみに傘立て部分にも本来は扉があったようです。
下部分の戸は下から上に、手前に開きます。取っ手は蝶々柄。この取っ手に手が入れられるようになるためには、掃除が大変でした。(詳細省略)
現在は上の引き戸に茶器など。下の下駄箱部分は中をしっかり拭いて紙物や本などをまとめています。古い物らしく省スペースで、奥行きがあまりないので気に入っています。
「発掘」当時は毎回のことですが、とってもとっても汚くて、上の引き戸の所に変な巣?みたいのくっついてるし、最悪でした。材質は分かりません。これは削ってもきれいになる気がしないので、水拭きしておきました。染みみたいのを本気で直そうとしたらペンキで塗るしかないです。
これは本当の意味で「下駄箱」で、下駄を入れるので一段一段が今の靴の高さよりも低いです。中からはひいおばあちゃんの履いた木製の下駄がたくさん出てきました。小さいおばあちゃん(今も元気な祖母)曰く、「前の前の家の時、ひいおばあさんが自分の部屋近くに置いていたもの」だそうです。
できれば私も下駄箱として使いたいのですが、今の部屋は玄関に作り付けの下駄箱がある上に、この横幅がちょっとだけ長くて玄関に置けません。右の傘立て部分?をのこぎりで切れば入るようになりますが、そこまでの決心はつかず。現在はリビングに置いて傘立て部分がズボンを入れるのに重宝しているので、しばらくこのままでしょう。ちなみに傘立て部分にも本来は扉があったようです。
下部分の戸は下から上に、手前に開きます。取っ手は蝶々柄。この取っ手に手が入れられるようになるためには、掃除が大変でした。(詳細省略)
現在は上の引き戸に茶器など。下の下駄箱部分は中をしっかり拭いて紙物や本などをまとめています。古い物らしく省スペースで、奥行きがあまりないので気に入っています。
2014年8月21日木曜日
ヘタレ主人公の系譜
『横道世之介』で気になってしまったんですが、ヘタレ主人公がステキな先輩や彼女に囲まれて周りに流されて「俺だけなにやってんだろう」的な述懐をする「ヘタレ物」(勝手に命名)ってどこから来たんでしょうね?私は翻訳物が苦手で、海外物は本当に疎いのですが、とりあえずアメリカではスーパーマンしかないと堅く信じている(笑)
『ノルウェイの森』は「ヘタレ物」でしょうか?時代は違うけれど、「時代ヘタレ物」として『世之介』と同じジャンルに入れたい気もします。
アニメにも詳しくないけれど有名な『エヴァ』は出てきた時とんでもない主人公だと思ったけれど、「アニメヘタレ物」の先駆者としては王者「のび太」がいます。
「ヘタレ物」の元祖は明治後期からブームになった「私小説」では?女弟子の蒲団の匂いを嗅いで悶絶する小説家から始まる系譜。日本独自の方向に突っ走ってしまった、醜く弱い作家自身をさらけ出す不思議な小説群。そんなのが原点だったらおもしろいなあ。さらに今は思いつかないけれど、もっと古典の時代までさかのぼったらもっとおもしろいと思います。
なんか、この「ヘタレ物」に日本の文化のエッセンスが詰まっている気がしています。小さい物が好きで、弱い物が好きで、ヘタレな物が好き、みたいな感じ。大きく強くわかりやすくキンキラキンのものを排除する美意識につながる気がします。仏像だって、中国の「尊いからキンキラキン」は見た目からも金(きん)を使う価値的にも非常に単純で分かりやすい。金がはげたところに価値を見いだす日本の感覚は、やっぱり普通じゃないように思うんです。高度というか、ひねくれているというか、日本人でありながら非常に興味がある価値観です。強さだって、客観的に見れば弱いより強い方がいいに決まってる。なのに判官贔屓しちゃって、甲子園でも点を取られている方を応援しちゃう。この感覚ってなんなんだろう?
弱い物に価値をおくのは天皇制も影響してるのかなあ?他の王や皇帝と違って、軍隊をもたず弱いからこそ最強という立ち位置は「強い者こそが王者」という原則を破っているから。
…何の知識もないのに、無責任に変なこと書き殴ってすみません。
ただ、ちょっと気になるのは「ヘタレ物」の村上春樹はノーベル賞候補、「エヴァ」も「ドラえもん」も世界で大人気だということ。
これって、世界が日本風にヘタレ化してるのかな?
世界でこれらの作品がどう受け取られているのか、知りたい気がします。
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『ノルウェイの森』は「ヘタレ物」でしょうか?時代は違うけれど、「時代ヘタレ物」として『世之介』と同じジャンルに入れたい気もします。
アニメにも詳しくないけれど有名な『エヴァ』は出てきた時とんでもない主人公だと思ったけれど、「アニメヘタレ物」の先駆者としては王者「のび太」がいます。
「ヘタレ物」の元祖は明治後期からブームになった「私小説」では?女弟子の蒲団の匂いを嗅いで悶絶する小説家から始まる系譜。日本独自の方向に突っ走ってしまった、醜く弱い作家自身をさらけ出す不思議な小説群。そんなのが原点だったらおもしろいなあ。さらに今は思いつかないけれど、もっと古典の時代までさかのぼったらもっとおもしろいと思います。
なんか、この「ヘタレ物」に日本の文化のエッセンスが詰まっている気がしています。小さい物が好きで、弱い物が好きで、ヘタレな物が好き、みたいな感じ。大きく強くわかりやすくキンキラキンのものを排除する美意識につながる気がします。仏像だって、中国の「尊いからキンキラキン」は見た目からも金(きん)を使う価値的にも非常に単純で分かりやすい。金がはげたところに価値を見いだす日本の感覚は、やっぱり普通じゃないように思うんです。高度というか、ひねくれているというか、日本人でありながら非常に興味がある価値観です。強さだって、客観的に見れば弱いより強い方がいいに決まってる。なのに判官贔屓しちゃって、甲子園でも点を取られている方を応援しちゃう。この感覚ってなんなんだろう?
弱い物に価値をおくのは天皇制も影響してるのかなあ?他の王や皇帝と違って、軍隊をもたず弱いからこそ最強という立ち位置は「強い者こそが王者」という原則を破っているから。
…何の知識もないのに、無責任に変なこと書き殴ってすみません。
ただ、ちょっと気になるのは「ヘタレ物」の村上春樹はノーベル賞候補、「エヴァ」も「ドラえもん」も世界で大人気だということ。
これって、世界が日本風にヘタレ化してるのかな?
世界でこれらの作品がどう受け取られているのか、知りたい気がします。
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吉田修一『横道世之介』
今日読み始めて今日読了。肩の力がゆる~んと抜けた文体で、そうめんのようにつるつる読めます。
大学進学のために上京した長崎生まれの横道世之介という男の子が、4月に来てから過ごした1年間が3月まで月ごとに描写されています。4月、東京のすべてに驚き、部屋に布団も無かった世之介が、いろいろな人と出会い東京に居場所を見つけていく。知り合いもいない中で上京し大学生活を送った私にも懐かしい感覚を思い出させてくれました。
たしかに大学1年生って、一番人が脱皮する時期かもしれません。受験勉強して極端に狭くなっていた視野が突然開けてあふれだす1年。
世之介はこの1年で偶然将来の天職につながる1歩を踏み出し、その他の登場人物にとっても転機の1年になっている。でもそれは後から考えれば分かるだけ。あの時1年は自分の転機だったと。そしてその転機の場所に、世之介が一緒にいたことを思い出す。15年後、それぞれの場所でそれぞれの生き方をしている人々が、ふと世之介を思い出す。
15年後のそれぞれの描写が意外な所に挟まり、それが新鮮な効果を上げているように思えました。別に世之介はしょうもないヘタレだし、たいしたことしていないんだけどね、でも思い出の中の世之介はヘタレだからこそまぶしいのかも。
ところどころにその時代(80年代?)のトピックスが使われていて、それらによってその当時の空気が再現されているかどうかは、世之介と同時代人ではないので分かりません。ただ、ちょっと入れ方が直接的すぎるかなあと感じました。当時の大事件をそのままボコッ、ボコッと放り込んだ感じで、そういう部分だけ凸凹して見えます。作品は好きではありませんが、時代色の入れ方としては東野圭吾『ナミヤ雑貨店の奇跡』の方が気が利いていて巧い気がします。例えば、モスクワオリンピックの絡め方は、歴史に翻弄されたそういう女性が本当にいるようなリアル感を覚えました。
でも、世之介は印象的なキャラでした。「世之介」なんて御大層な名前もらっておいて、空気みたいな存在でのほほんとしている、そういう世之介がなんだか忘れられなくなる。しばらく世之介は私の心の中に残ると思います。
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2014年8月20日水曜日
ひいおばあさんの桐箪笥
私の部屋で一番に活躍してくれているのが、ひいおばあさんの嫁入り道具である桐の箪笥です。
ひいおばあさんは明治生まれで、私が大学生の時に百歳を目前にして亡くなりましたが、小さい頃から私は「うちにはひいおばあちゃんがいる」というのが自慢でした。私にとって明治時代は「自分と関係ない歴史の時代」ではなく「ひいおばあちゃんが生きていた時代」として親近感を抱く存在でした。だから私の古い物好きはひいおばあちゃんのおかげかもしれません。
ひいおばあちゃんは亡くなるまで記憶がしっかりしていて、私はよく昔の話を聞きました。亡くなった後、親族で古いアルバムを見ていた時、私が「集合写真のこの子がひいおばあちゃん」と言ったらだれも知らなくてびっくりされたこともあります。
ちょっとのほほんとして天然なところのあるおばあちゃんでした。「寝ている障子越しに明るくなったから外に出てかまどでご飯を炊いたら、いつまでたっても日が昇らん。おかしいと思ったら月の光の間違いだった。」って
どんだけうっかりさんなのっ!!
さて、思い出話はまたにして、この箪笥。古い家では廊下の片隅にあって、ほこりが1センチくらいたまって汚かったのです。となりには今も元気な祖母(まぎらわしいので「小さいばあちゃん」と言っていた)の嫁入り道具の箪笥もあり、正直そちらの方が華やかで私は好きでした。
でも祖母が掃除をしながら「私の箪笥よりひいおばあさんの箪笥の方が物が良い。私は戦後だから前部分以外の桐板が薄い。」と言ったので驚きました。
へ?そうなの?じゃあひいおばあさんのにします(現金な奴)
ひいおばあちゃんがいつ結婚したかはよく分かりませんが、大正時代の箪笥だと思います。こちらに持ってきてしばらくしてから気がつきましたが、上の段の後ろに「6円三十五銭」と書いてありました。この字を書いた人は江戸時代の人かもしれませんね。
桐箪笥の良いところは見た目と違ってとても軽いところです。そして、3つに分けられるところ。これは引っ越しの時にも便利だし、いろいろな使い方を楽しむことができます。本来は3つ重ねて使われていたのですが、見えないてっぺんにとんでもない量のほこりがたまっていたのを経験しているので、「自分の背よりも高い家具は置かない」がモットーになりました。あんなの不健康に決まってる!
引っ越し後は上と真ん中をセットにして使っていましたが、地震が来たら怖いと思い、現在は3つともバラバラに使っています。
まず、上の段は台所で食器棚になっています。以前は他の背が高めの棚を食器棚にしていたのですが、「地震が起きたら倒れてお皿が割れちゃう!」と思い、家具を変更。かがんで取らないといけないので少し面倒ですが慣れました。中のお皿のことはまた今度。
真ん中の段はリビングにしているフローリングの6畳に。
上の段にはタオルなどと、部屋で飲むお茶など。下の段にはカバンを。
小さい引き出しの上の段はドライヤー。下の段は2軍のアクセサリーなど。
一番下の段は和室で洋服を入れています。
一人暮らしで入れるものもないので、ふすまは取り払っています。断捨離に目覚めてから服がどんどん減り、吊すタイプの服以外は1年分でこの2段に収まるようになりました。段によって「夏っぽい服」と「冬っぽい服」にアバウト~に分かれていて、段の上下を変えるのが模様替え。
押し入れの上段は布団。この和室で寝るので、寝るときにドサーと落ちてくる物があると安眠できません。左は亡くなったおじいちゃんが特別に注文したという行李。中は部屋着とか。
写真ではわかりにくいですが、上と真ん中は、前の部分を少し削ってきれいにしています。本当は業者さんに任せれば、新品同様にきれいになるようですが、高いし、新品同様になることは望んでないので、自分で100均の紙ヤスリで削りました。ちょっと削るだけでも部屋の雰囲気は変わるし、なによりも削っていると無心になってけっこうハマリますよ!
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ひいおばあさんは明治生まれで、私が大学生の時に百歳を目前にして亡くなりましたが、小さい頃から私は「うちにはひいおばあちゃんがいる」というのが自慢でした。私にとって明治時代は「自分と関係ない歴史の時代」ではなく「ひいおばあちゃんが生きていた時代」として親近感を抱く存在でした。だから私の古い物好きはひいおばあちゃんのおかげかもしれません。
ひいおばあちゃんは亡くなるまで記憶がしっかりしていて、私はよく昔の話を聞きました。亡くなった後、親族で古いアルバムを見ていた時、私が「集合写真のこの子がひいおばあちゃん」と言ったらだれも知らなくてびっくりされたこともあります。
ちょっとのほほんとして天然なところのあるおばあちゃんでした。「寝ている障子越しに明るくなったから外に出てかまどでご飯を炊いたら、いつまでたっても日が昇らん。おかしいと思ったら月の光の間違いだった。」って
どんだけうっかりさんなのっ!!
さて、思い出話はまたにして、この箪笥。古い家では廊下の片隅にあって、ほこりが1センチくらいたまって汚かったのです。となりには今も元気な祖母(まぎらわしいので「小さいばあちゃん」と言っていた)の嫁入り道具の箪笥もあり、正直そちらの方が華やかで私は好きでした。
でも祖母が掃除をしながら「私の箪笥よりひいおばあさんの箪笥の方が物が良い。私は戦後だから前部分以外の桐板が薄い。」と言ったので驚きました。
へ?そうなの?じゃあひいおばあさんのにします(現金な奴)
ひいおばあちゃんがいつ結婚したかはよく分かりませんが、大正時代の箪笥だと思います。こちらに持ってきてしばらくしてから気がつきましたが、上の段の後ろに「6円三十五銭」と書いてありました。この字を書いた人は江戸時代の人かもしれませんね。
桐箪笥の良いところは見た目と違ってとても軽いところです。そして、3つに分けられるところ。これは引っ越しの時にも便利だし、いろいろな使い方を楽しむことができます。本来は3つ重ねて使われていたのですが、見えないてっぺんにとんでもない量のほこりがたまっていたのを経験しているので、「自分の背よりも高い家具は置かない」がモットーになりました。あんなの不健康に決まってる!
引っ越し後は上と真ん中をセットにして使っていましたが、地震が来たら怖いと思い、現在は3つともバラバラに使っています。
まず、上の段は台所で食器棚になっています。以前は他の背が高めの棚を食器棚にしていたのですが、「地震が起きたら倒れてお皿が割れちゃう!」と思い、家具を変更。かがんで取らないといけないので少し面倒ですが慣れました。中のお皿のことはまた今度。
真ん中の段はリビングにしているフローリングの6畳に。
小さい引き出しの上の段はドライヤー。下の段は2軍のアクセサリーなど。
一番下の段は和室で洋服を入れています。
一人暮らしで入れるものもないので、ふすまは取り払っています。断捨離に目覚めてから服がどんどん減り、吊すタイプの服以外は1年分でこの2段に収まるようになりました。段によって「夏っぽい服」と「冬っぽい服」にアバウト~に分かれていて、段の上下を変えるのが模様替え。
押し入れの上段は布団。この和室で寝るので、寝るときにドサーと落ちてくる物があると安眠できません。左は亡くなったおじいちゃんが特別に注文したという行李。中は部屋着とか。
写真ではわかりにくいですが、上と真ん中は、前の部分を少し削ってきれいにしています。本当は業者さんに任せれば、新品同様にきれいになるようですが、高いし、新品同様になることは望んでないので、自分で100均の紙ヤスリで削りました。ちょっと削るだけでも部屋の雰囲気は変わるし、なによりも削っていると無心になってけっこうハマリますよ!
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わが家の「発掘品」
これから部屋の紹介をしていく予定ですが、「発掘品」という言葉を時々使うと思いますので先に軽く説明しておきますね。
私は今一人暮らしをしていますが、実家は私が小学生の時に引っ越したきた家です。それまで住んでいた元の家は一部を仕事場として使い続けたのでそのまま残されました。引っ越しの時においていかれたものはそのまま20年あまり放置されており、今回私が一人暮らしをするにあたり私が掃除をしつつ物色し、気に入った物を部屋に持ってきたというわけです。それが「発掘品」です。
うちは別に旧家でもないし、20年以上ほこりをかぶってきた物たちは不備がいろいろあって商品価値はほとんどないです。現在でも私以外の家族はこれらの家具をゴミ扱いしてます。それでも私はそれらのものが愛おしいのです。ゴミ扱いされたものでも、ちゃんと使えますよーってことを広報したいと思っています。
私は今一人暮らしをしていますが、実家は私が小学生の時に引っ越したきた家です。それまで住んでいた元の家は一部を仕事場として使い続けたのでそのまま残されました。引っ越しの時においていかれたものはそのまま20年あまり放置されており、今回私が一人暮らしをするにあたり私が掃除をしつつ物色し、気に入った物を部屋に持ってきたというわけです。それが「発掘品」です。
うちは別に旧家でもないし、20年以上ほこりをかぶってきた物たちは不備がいろいろあって商品価値はほとんどないです。現在でも私以外の家族はこれらの家具をゴミ扱いしてます。それでも私はそれらのものが愛おしいのです。ゴミ扱いされたものでも、ちゃんと使えますよーってことを広報したいと思っています。
2014年8月18日月曜日
加門七海『もののけ物語』
勧められて読んだ作家さんなのですが、途中まで男性だと思いこんでいたのです。 この人の文体がさっぱりしていたからか、骨董の話が多く、こういうコレクター気質は男性が多い というイメージがあったからか、はたまた「加門」という名前から「嘉門達夫」のイメージを 無意識に抱いてしまったのか??
で、この本の中で、筆者が市松人形を集める、もしくは集まる話が出てきて、私の脳内の筆者の想像がだいぶアブナクなっていた、という話は置いておいて…。
題名にある通り、もののけに関わる話が多いのですが、私には霊感が乏しいし、 恐がりなので、一番楽しく読めたのは前半にある不思議な骨董譚でした。古い物は長年生きているからこそ、なにかしらの物語をもっています。私は彼女ほどの経験はしたことがないですが、古い物や骨董市などが好きな人間としてとても親近感が持てました。
「白澤と表具屋」
白澤は中国の神獣で、昔黄帝に捕まえられて1万種類以上の妖怪の情報を黄帝に教えたことから、日本では魔除けや病除けの神様になったそうです。見た目が怖いのであまり残っていない白澤様の掛け軸を手に入れて、表装してもらう話。
飛び込みで入った表具屋さんがとんでもなく職人で、三年かけても表装ができない…。その彼の話す内容がとてもおもしろかったです。これだけこだわれば三年かけてできないのがとても深く理解できます。紙数の関係で書けていないことも多いようですし、続きが知りたいものです。果たして表装はできあがったのかしら?
沖縄の観光地になっている首里城が、復元された新しい場所であっても聖的な空間として存在していて、ひどい行動をすると悪い報いがあるという話とか、御神輿に神様をお乗せすると重くなるという話も興味深かったです。
以前私が靖国神社に行ったとき、靖国神社の祀りでも途中で重くなるという説明を読んだことをふと思い出しました。
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